「今という瞬間は二度と来ない。だから、毎日を精一杯生きること」、こんなふうに言われれば、なんとなくわかったような気はする。けれども、今日を生きる、今を生きるとは、具体的にどう生きることなのでしょうか!? 「ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。誰一人として、今日に生きようとする者がいない」。この言葉は、18世紀の哲学者ジャン・ジャック・ルソーによって言われたものです。私たちは常に未来を見据えて生きていますが、今日を精一杯生きることしているのかと言われると返事に困るのです。
今日を生きよ、今を生きよというけど!?
「今という瞬間は二度と来ない。だから、毎日を精一杯生きること」、
よく、こんなふうに言われる。
たしかに、今日の延長線上に未来があるのだから、
その大切さについては、
なんとなくわかるような気はする。
けれどもねぇ。
「今日を生きる」、「今を生きる」とは、
具体的にどう生きることをいうのか!?
正直、つかみどころがないように、
思えてしかたがない。
わたしだけだろうか!?
昨日を引きずる
朝ベッドで目覚めると、
とりあえずスマホを手にする。
ラインやメール、ニュースに、
天気予報をぼんやりチェックする。
頭に浮かぶのは昨日の延長線上のこと。
仕事の状況を思い出してはイライラしだし、
上司や職場の人間関係のあれこれに、
気持ちが落ち込む。
朝から、妻の奥さんの小言に嫌気がさし、
ため息交じりで朝食を口に放り込む。
よく眠れたはずが体は重く、
時間だからとシャワーを浴びては身支度する。
いつもの時間に玄関を出て、
駅に向かうのもいつもの通り。
そこには、未来の希望、
未来に向けた今日一日なんてどこ吹く風。
いつも同じことし、同じことを考え、
同じことの感情を抱き嘆くことが多いように思う。
まるで、ハツカネズミが、
風車をくるくると回り続けるように。
いつしか自分も、昨日からのストレスを感じながら、
毎日同じことに走り回る。
残念ながらそこには、大切な今日も、今も感じられていない。
今、この5分間
心理カウンセラー・石原加受子さんの、
「自己肯定感のレッスン」では、
どうすれば、「今」に夢中になれるのかとヒントを示している。
例えば、ここにある「5分」という時間について。
5分間の時間の過ごし方は人それぞれ、
過去の思い出に浸ることも、
未来を想像することもできる。
過去も未来も、ポジティブなできごとであれば、
懐かしい気持ちがよみがえり期待に胸が膨らむ。
それだけで、幸せな気分に満たされるでしょうと。
しかし、ネガティブなできごとであれば苦痛を覚え、
不安や焦りや恐れでいっぱいになるかもしれない。
気付かねばならない。
その5分間にも、
消せぬ過去と分からぬ未来のことばかり、
考えてしまうこと。
そこには、大切な「今」がない。
心に寄り添う
心理カウンセラー・石原加受子さんの、
アドバイスは続く。
この5分間を「今」に費やしてみる、
自分に備わっているさまざまな感覚を、
ていねいに受け取ってみる。
私たちには、目や耳、鼻、舌、
そして触ることで感じられる五感があると。
これを、「5分間心に寄り添う」と、
心理カウンセラー石原加受子さんは解説している。
試しにやってみた。
目を閉じて五感に意識を集中、
呼吸があり胸に手を当てれば心臓の動きがわかる。
でも、それだけ・・・。笑
ただ、しばらくすると思った。
今、私の身体は生きてるって。
すると、なんだか「ありがたいな」、
なんて感謝の気持ちを感じたような。
たしかに、そこには過去も未来もなかった。
今回のちょっとまとめ
というわけで、今回は以上です。
「誰一人として、今日に生きようとする者がいない」、ルソーの名言を前にしてドキリとした。今日に生きようだなんて、思いもしなかったからだ。いつもと同じ昨日を引きずり、いつものように同じ朝を迎え、同じことを繰り返す今日が待つだけだった。
いつもと同じってのは、自分の外にある何かに操られているのか!?自分の外部に、怒り、不満、イライラ、そんなストレスに振り回されている。「今」に、意識の向く先を外から内へ変えてみる。「自分の心に寄り添う」というのは、そういう意味なのか。
そんなことを思った。
「ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。誰一人として、今日に生きようとする者がいない」。- ジャン・ジャック・ルソー
いかがでしたでしょうか?
最後まで読んでくださりありがとうございます。
少しでもヒントになればうれしく思います。
・本記事は、情報収集と要約に、一部AIを使用しています。
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